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腎臓は老爺と犬の夢を見る - 「renal summer」感想のようなもの


犬の腎臓になるアプリゲーム、「renal summer」をED2まで見届けたのでその感想です。


「renal summer」は腎臓を患った犬と、その飼い主であるおじいさんの1匹と1人の暮らしを見守るゲーム。
プレイヤーはそんな犬の「腎臓」で、ただ黙々と流されてくる血液を捌いていくほかにできることはありません。

犬の死は目に見えるところまで迫っていて、プレイヤーにそれを動かすことはできない。でも、がんばれば夏の終わりをほんの少しだけ遠ざけることができるかもしれない。そんなゲーム。


最初から最後までネタバレの嵐というか、エンディングにまつわる部分についての話ばかりになるので、未プレイの方はプレイ後読むことをかなり推奨。
致命的なネタバレが多めです。


AndroidiOS、どちらでも2人の生活を見守ることができますので、未プレイの方はぜひ。
ただ、動物、とくに犬の最期を看取ったことのある人間にとってはかなり特効の乗った作品になっているので、個人的には心と身体どちらにも元気があるとき推奨かも……。

renal summer

renal summer

  • tokoronyori inc.
  • ゲーム
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apps.apple.com



以下、ネタバレありのプレイ後感です。


まず初めにめちゃくちゃ個人的な話、自分もちょうど2年前の8月、患った病気こそ違えど家族だった犬を看取っていまして。
プレイ中の1週間はずっとそのときのことが頭の中を巡ってしまって、二重三重にキツかった。
ずっと自宅の犬のことが頭にあって、延々とスリップダメージを受け続ける1週間でした。


この作品、ゲームとしてプレイヤーができることってひたすら血液の塊であるブロックをタップしまくって壊すことだけなんですよね。プレイヤーであるところの腎臓はそもそもそういう臓器だし。


だからそこに「ゲーム的な楽しさ」ってものはないというか、あったとしてもかなり薄い。

私(腎臓)は病気だから、時間と共に少しずつ働きが弱ってしまって、より一層ゲームとしての楽しさからは離れていってしまう(ブロックを壊すための労力を減らすためのアップグレードにつけられた名前が「血圧」なの、とても秀逸だと思いました。病状の進行に対する時間経過と、血圧の上昇という症状の悪化がうまくリンクしていて。血圧を上げるかどうかの選択は結末に一切寄与しない)
それでも、犬が弱っている通知を見たくなくて、別に楽しくもないブロック崩しのため定期的にアプリを開いてしまう。


犬の身になにかあったらどうしようと思って寝るのが怖くなるの、本当に、具合の悪い生き物と生活している感覚としてリアルだった、し、こっちの具合まで悪くなりそうでした……とくに最後の1日ほどは、おじいさんの行動の理由など色々わかることもあって余計に。


この世で一番心臓に悪い通知


日が経つにつれ、今まで通りに走ることも、ご飯を食べることも満足にできなくなってきた犬が、夢の中では草原を駆け回りおじいさんと木の枝で遊びご飯をモリモリ食べているの、わけもなく泣けてしまってダメだった。


というか犬が……本当にかわいいんですよね……。
朝起きてから夜眠るまでずっとおじいさんの後ろをついて回って……。アプリ起動時の爪の音にまでラブが詰まっている……。
おじいさんも犬のことを心からかわいがっていて、大事に大事にしているのが伝わってくる。言葉の一切ない、グラフィックもドットで表情の読めない作品だけど、それだけは本当に痛いほど伝わってきた。やっぱり、リアルさってグラフィックの精巧さとはまったく関係ない部分に宿るものなんだなと。


一つ一つの音がリアルというのもあるのかもしれませんが。先述の爪の音を筆頭に、ミルクを注ぐ音、機械をいじる音、靴音、細かい音の数々が聞いていてとても気持ちいい。


ゲーム開始時に1ループだけ流れる主題歌(?)もとても雰囲気があって素敵でした。
内容はどうにも不穏というか、このまま突き進んでしまってハッピーエンドに辿り着けるのか……?と不安になる感じでしたが。
翳りのない未来……はなればなれ……

おじいさんは飼い主としての責任を果たしたか

おじいさんは心底犬をかわいがって愛している。
でも、これなんですよ。


配信ページに「犬とおじいさんの生活の終わりを先延ばしにすることができます」とあって、てっきり私=腎臓の働きによって延ばせる猶予はまちまちで、到達日数によってエンディングが変わるとかだと思ってたんですが。
なにやら日中ドローンで配達された部品を夜になってからせっせと組み立てるおじいさんの姿に、呑気にも「サービスとしてのペット用透析が崩壊したってことだし、個人で透析機を作って犬に使ってあげることで腎臓がお役御免になるエンドなのかな?」なんて考えていたのに。
それがどうやら全然見当違いだと気付いたところで、おじいさんに対する飼い主だった者としての視点が変わってしまった。


おじいさんが犬のことを心底かわいがっていて、愛していることはわかる。
犬が弱りきってしまった最後の日は、自分の寝食も、ほかの動物の世話も含めた日々の営みも全て脇に追いやって機械を仕上げていたところからも痛いほど伝わってくる。


自分も、家族である犬が抱えている病気が10年後には根治可能で、さらにその10年の時間を稼ぐための冬眠機械があると言われたら悩むと思うんですよ。
もしかしたらおじいさんと同じ選択をしていたかもしれない。
でも、自分とおじいさんとの間には、飼い主である自分に残された時間って点で大きな違いがある。犬が眠っている10年の間に、自分に寿命が来ない保証はどこにもない。自分だって、事故や突然の大病で10年の間に死なない保証はないわけです。ただまだ自分には、自分がいなくても他に任せられる人がいる。おじいさんは一人きりで、犬が目覚めたとき誰にも迎えられない可能性も充分あり得る。(そもそも冬眠が自動で解けたとしても、透析用ナノマシンを注入する誰かがいなければ目覚めたところで……)


家の様子を見るに、おじいさんはもう既に添い遂げてきた誰かを見送っている可能性もあって、だからこそ犬の延命に心血を注いだっていうのもあるのかもしれない。


それでも、人間がどれだけつらくたって、犬を一人で遺さないためにあるがままを受け入れることも飼い主としては必要なことなのかな、と。
答えの出ない、人によって正解の違う問題で、私とおじいさんの答えが違ったというだけの話ではあるのですが。


ぐったりとして、液晶越しには生死不明の犬を冬眠機の液体に沈めたおじいさんの動きは、間に合ったことへの安堵に見えました。おそらくうまくいったのでしょう。
私の腎臓としての働きによって、犬は死ではなく未来を待つための眠りにつき、おじいさんの計画通りにことが進めば10年後ナノマシンを注入され腎不全が治るはず。本当によかったのかなあと思いはしますが、どうやらここへたどり着くまでに犬が天寿を全うすると日付が1日戻ってやり直しになるそうなので、これがこのゲームにとってのトゥルーへの道なんだろうなあ。


ここからは冬眠機に入れられた犬の見る、しあわせな夢が延々と続くばかりで、腎臓にできることはなにもありません。

やっぱり、目覚めた世界におじいさんがいることが犬にとってもしあわせだったんじゃないかな……。

そして2030年へ

とまあ、おじいさんがここまでの決断と行動を見せたわけで、10年後、再会を喜ぶ2人の姿がね、見られると……見られると…………思っていたんだけど……な…………。


10年後の世界、犬は確かに冬眠から目覚め、注入されたナノマシンもきちんと動作したことで腎不全によって目の前に迫っていた死からは遠ざかることができました。が、おじいさんの姿はどこにもなく、いつもおじいさんが座っていたリビングの椅子には、一体のロボットが……。
やっぱりダメだったじゃん!!!


ロボットは犬をかわいがり、犬もロボットを警戒して逃げたりしませんでしたが、なんか、なんか……こう……。

謎のロボにお腹を見せる犬。人見知りしない犬なのか、それとも……。謎です。


きっと、おじいさんが犬に向けていた愛情って、飼い主から犬に向けられる「その人生のすべてに責任を負う」といったものよりも、親から子に向けられる「どんな姿になってもいいから健やかで長く生きてほしい」みたいなものに近かったのかもしれない。だとしたら、この選択は理解ができるし、犬が目覚める場面に立ち会えなかったとしてもおじいさんは満足でしょう。
上記の通りの方向性で愛を注いでいたのなら、おじいさんの望みは、自分がいなくても犬が元気になってくれることだろうから。

二人の住む世界

ちょっと脱線して、この1人と1匹の住む世界について、もしかして作者さんの他の作品とリンクしているのでは?という話。
作者さんの別作品の舞台は遠い遠い未来の地球で、そこには人類はおろか他の生き物も存在しません。
原因は人間による戦争。しかも当の本人たちは宇宙へ移住して、空っぽになった地球の上でロボットによる代理戦争をしていた。


もしかしてそのための移住計画のようなものが2020年段階から告知されていたのでは?
きっと地球人みんなが宇宙へいけるわけじゃないだろうし、そうなればそれ以外の動物だってほとんどが地球に残される。ペット用の透析サービスが崩壊したのもその煽りだったのかもしれない。


おじいさんが宇宙行きのメンバーに選ばれていて犬を冬眠させたのなら憤りを覚えますし、そうでないなら残された時間を少しでも永く共にいるための執着ともとれる。
けれど目覚めた犬を待っていたのは見知らぬロボットで……。
おじいさん……。


……あのロボットが実はパワードスーツで、中におじいさんがいるとかだったらいいな〜とか、考えちゃうんですよ。
でも真相はなにもわからない。
明言されない以上、あのロボットはパワードスーツを着たおじいさんかもしれないし、おじいさんの人格のコピーを搭載したロボットかもしれないし、犬のお世話機能がついたルンバかもしれない。


でもきっと、この作品はこの結末でよかったんだと思います。
おかげで色々考えることができた。
ただ延命をして、病気が快方に向かって、1人と1匹は最後の日まで仲良く――は救いはありますが、ここまで複雑な気持ちにはならなかった。


エンドクレジットで、作者さんが犬を好きでこのゲームを作っていたらしいことがわかったのも大きかったです。


とにかく難しくて模範の回答なんてないような問題に、正面からぶつかって考えるきっかけになるとても素敵なゲームであり作品でした。
とにかくキツくてしんどい1週間だったけど、腎臓になれてよかった。


夏も終わりますが、これからもたまに1人(1体?)と1匹の生活を覗きにいきたいと思います。